【浅羽としやのICT徒然】第3回 マウスの発明者・ダグラス・エンゲルバート氏が死去
いつもご覧いただき、ありがとうございます♪
最新ニュースをお届けします。
7月4日にマウスの発明者として有名なダグラス・エンゲルバート(Douglas Carl Engelbart)氏が亡くなりました。マウスやそこから派生したトラックパッドのようなコンピュータへの入力デバイスは、今では当たり前のように使われています。仕組みも簡単そうに見えますので、大した発明ではないような気がするかもしれません。しかし、エンゲルバート氏がマウスを発明した1965年頃は、紙テープやパンチカードが主流の時代で、コンピュータを「対話するように」使うということなど、まだまだ夢物語だった時代です。エンゲルバート氏は、その時代に既に、現在のようなコンピュータの利用環境を想定し、さまざまなインタフェースを研究し、実際に開発もしていました。マウスの発明は、それらの氏の多くの業績の一つに過ぎないのです。
コンピュータを対話的に使うというと、そのルーツに、アップル社のMacintoshや、その前身であるLisaを思い浮かべる方も多いと思います。しかし、これらの対話的なコンピュータ利用環境のアイデア自体は、XEROX PARC(Palo Alto Research Center)の研究者で、「パーソナルコンピュータの父」とも呼ばれるアラン・ケイ氏が開発したAltoというコンピュータシステム上で実現されていたものでした。それを、当時親交のあったスティーブ・ジョブス氏が自社の商品に取り入れ、商用化したのです。そのアラン・ケイ氏に影響を与え、対話的なインタフェースの重要性に気付かせたのが、エンゲルバート氏でした。
エンゲルバート氏は1963年の「人間の知性を増幅するための概念的枠組み」という論文の中で、コンピュータを人間の知力を補強増大する装置として用いるためには、人とコンピュータが協調活動を行いながら一つのシステムとして問題解決にあたる必要があるとし、そのために必要なフレームワークについて論じています。そしてその際重要となるのが、人とコンピュータの間のインターフェースであり、そのインターフェースでは言葉や映像のようなシンボルに対する操作を媒介して概念のやりとりを行う仕組みが必要であると考えていました。彼はそのようなシステムを、知性の拡大の手段という意味で「オーグメント(Augment)」と名付けました。そしてオーグメントは、その後NLS(oN Line System)という具体的なシステムとして実現されていきます。
NLSは、マウスだけではなく、ビットマップディスプレイとマルチウィンドウシステムも持ち、さらに、それらを用いてハイパーテキストで表現された文章の操作も行えるものでした。これらのインターフェースデバイスが現在のスマートフォンやiPadのようなタブレットにも繋がっているのだと思うと、エンゲルバート氏の業績の偉大さが理解できるのではないでしょうか。
しかし、エンゲルバート氏の偉大さはそれだけではありません。氏がこれらのアイデアをNLSで実現したものを世の中に広く公表したのは、1968年のことでしたが、この時の氏のプレゼンテーションは、「全てのデモの母」と呼ばれ、伝説的なものになっています。それは、この時初めて、リアルタイムにマウス(当時は木製です!)と簡易なキーボードを操作してコンピュータ画面上でカーソルを動かして対話的に操作しながら、画面に新たなウィンドウを開いてデータを呼び出したり、それを消したり、何かの項目をマウスで選択してメニューのようなものを開いて、他のデータに移ったり、また戻ったりするという操作を映像として見せる、という今では普通に行われているスタイルでのデモだったからです。さらに、会場と離れた研究所とを無線で繋ぎ、研究所の所員とコンピュータの画面上で対話するデモも含まれていたそうです。デモには、一部、ズルもあった(エンゲルバート氏が一人で操作しているように見せながら、実際には沢山の研究所員が裏で必死でNLSを操作していた)ようですが、それでも聴衆に未来の人とコンピュータとの知的共同作業のイメージをしっかりと植え付けた、画期的なものであった事は間違いありません。このプレゼンを会場で見ていたアラン・ケイは、後にパーソナルコンピュータの原型モデルとなる「ダイナブック」を構想し、その実証のために、上記のAltoシステムの開発を手がけたのです。
このように、エンゲルバート氏は人類で初めてコンピュータと人間が対話しながら知的共同作業を行う方法を考察し、それを実現し、そして伝説的なプレゼンテーションを通じて、そのアイデアを世の中の多くの研究者に広め、影響を与えたのです。ICTに関わる人間として、氏の偉大な功績に感謝をするとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
■筆者:浅羽としや/IIJで、1エンジニアとしてバックボーンNWの構築や経路制御などを担当し、CWCで、技術担当役員として広域LANサービスの企画・開発に従事。現在、ストラトスフィアで、社長としてSDNの基盤ソフトウェアのビジネスを推進中。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130708-00000013-rbb-sci
※この記事の著作権は配信元に帰属します。
ダイエット宅配栄養食の美健倶楽部
最新ニュースをお届けします。
7月4日にマウスの発明者として有名なダグラス・エンゲルバート(Douglas Carl Engelbart)氏が亡くなりました。マウスやそこから派生したトラックパッドのようなコンピュータへの入力デバイスは、今では当たり前のように使われています。仕組みも簡単そうに見えますので、大した発明ではないような気がするかもしれません。しかし、エンゲルバート氏がマウスを発明した1965年頃は、紙テープやパンチカードが主流の時代で、コンピュータを「対話するように」使うということなど、まだまだ夢物語だった時代です。エンゲルバート氏は、その時代に既に、現在のようなコンピュータの利用環境を想定し、さまざまなインタフェースを研究し、実際に開発もしていました。マウスの発明は、それらの氏の多くの業績の一つに過ぎないのです。
コンピュータを対話的に使うというと、そのルーツに、アップル社のMacintoshや、その前身であるLisaを思い浮かべる方も多いと思います。しかし、これらの対話的なコンピュータ利用環境のアイデア自体は、XEROX PARC(Palo Alto Research Center)の研究者で、「パーソナルコンピュータの父」とも呼ばれるアラン・ケイ氏が開発したAltoというコンピュータシステム上で実現されていたものでした。それを、当時親交のあったスティーブ・ジョブス氏が自社の商品に取り入れ、商用化したのです。そのアラン・ケイ氏に影響を与え、対話的なインタフェースの重要性に気付かせたのが、エンゲルバート氏でした。
エンゲルバート氏は1963年の「人間の知性を増幅するための概念的枠組み」という論文の中で、コンピュータを人間の知力を補強増大する装置として用いるためには、人とコンピュータが協調活動を行いながら一つのシステムとして問題解決にあたる必要があるとし、そのために必要なフレームワークについて論じています。そしてその際重要となるのが、人とコンピュータの間のインターフェースであり、そのインターフェースでは言葉や映像のようなシンボルに対する操作を媒介して概念のやりとりを行う仕組みが必要であると考えていました。彼はそのようなシステムを、知性の拡大の手段という意味で「オーグメント(Augment)」と名付けました。そしてオーグメントは、その後NLS(oN Line System)という具体的なシステムとして実現されていきます。
NLSは、マウスだけではなく、ビットマップディスプレイとマルチウィンドウシステムも持ち、さらに、それらを用いてハイパーテキストで表現された文章の操作も行えるものでした。これらのインターフェースデバイスが現在のスマートフォンやiPadのようなタブレットにも繋がっているのだと思うと、エンゲルバート氏の業績の偉大さが理解できるのではないでしょうか。
しかし、エンゲルバート氏の偉大さはそれだけではありません。氏がこれらのアイデアをNLSで実現したものを世の中に広く公表したのは、1968年のことでしたが、この時の氏のプレゼンテーションは、「全てのデモの母」と呼ばれ、伝説的なものになっています。それは、この時初めて、リアルタイムにマウス(当時は木製です!)と簡易なキーボードを操作してコンピュータ画面上でカーソルを動かして対話的に操作しながら、画面に新たなウィンドウを開いてデータを呼び出したり、それを消したり、何かの項目をマウスで選択してメニューのようなものを開いて、他のデータに移ったり、また戻ったりするという操作を映像として見せる、という今では普通に行われているスタイルでのデモだったからです。さらに、会場と離れた研究所とを無線で繋ぎ、研究所の所員とコンピュータの画面上で対話するデモも含まれていたそうです。デモには、一部、ズルもあった(エンゲルバート氏が一人で操作しているように見せながら、実際には沢山の研究所員が裏で必死でNLSを操作していた)ようですが、それでも聴衆に未来の人とコンピュータとの知的共同作業のイメージをしっかりと植え付けた、画期的なものであった事は間違いありません。このプレゼンを会場で見ていたアラン・ケイは、後にパーソナルコンピュータの原型モデルとなる「ダイナブック」を構想し、その実証のために、上記のAltoシステムの開発を手がけたのです。
このように、エンゲルバート氏は人類で初めてコンピュータと人間が対話しながら知的共同作業を行う方法を考察し、それを実現し、そして伝説的なプレゼンテーションを通じて、そのアイデアを世の中の多くの研究者に広め、影響を与えたのです。ICTに関わる人間として、氏の偉大な功績に感謝をするとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
■筆者:浅羽としや/IIJで、1エンジニアとしてバックボーンNWの構築や経路制御などを担当し、CWCで、技術担当役員として広域LANサービスの企画・開発に従事。現在、ストラトスフィアで、社長としてSDNの基盤ソフトウェアのビジネスを推進中。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130708-00000013-rbb-sci
※この記事の著作権は配信元に帰属します。
ダイエット宅配栄養食の美健倶楽部